この雑誌の編集方針▶ 中谷礼仁

 

その茫漠さゆえにふたたび「建築」を選ぶ

 

狼が来る!

 と、人を惑わせた少年の末路のようにはなりたくない。だから、普段は扇動的な物言いや、流行をひねくり出すような活動はしないことにしてきた。しかし確かに昨今の社会の状況の変化は、当方が過ごしてきたこの40 年強の人生のなかでもっとも大きなものだ。社会、ひいては世界が方向性をいまだ持ちえず、さまざまな思惑がマグマのようにうごめいている。
安定した建築像はすでにとっくのむかしに崩れた。こういう時それぞれの主体はどのように動けばいいのか。等比級数的にかけあがる情報や課題の多さのなかで、その舵を決定することは難しい。むしろ現在の問題群をいかに整理すべきなのかを考えるべきであり、それだけでもたくさんの新しい特集ができてしまうだろう。
 当方は、建築学会がいままで築いてきたさまざまな学の蓄積を母体として、なお社会への積極的な働きかけを行いたいという会長の呼びかけに大いに賛同した。そのような目標に対して、『建築雑誌』に一体どんな底力があり、なにを、どこまでできるのかを、きちんと試してみたいと思った。
そのような経緯でこの1600 号に到達せんとする、『建築雑誌』の編集長の重責を引き受けたのである。

 

伊東忠太の改名論から

 「雑誌」とは文字どおり雑なものである。しかしこの雑っぽさというのは、ぞんがい建築の本質に肉薄する言葉である。
 1894 年に建築史家・伊東忠太が学会改名論★を提起した。「造家」から「建築」への改名である。学会はこれを受けその3 年後に自らの名前を変更した。以降私たちはこの「建築」の枠組みのなかにある。しかしこの「建築」という言葉は一筋縄ではいかない、いわば雑ぱくなものだ。
 伊東が提起したその内実は、きわめて巧妙である。伊東は改名論を造家/建築、学/術を掛け合わせたマトリックスで展開した。
 そして彼が造家を用いず、建築をアーキテクチャーの訳語に引き当てようとした理由がまことに興味深い。彼いわく「造家」「建築」ともアーキテクチャーの真正の訳語足りえていない。とはいえ、わい小な創造性を意味する「造家」よりも、むしろその茫漠さゆえに消極的に「建築」を選ぼうというのである。

 

まぼろしの「協会」案

 これはどういうことか、当時「建築」は建造物のみならず、鉄道の敷設や、ひいては電線をひく行為にも用いられた広い工学的用語だった。その意味でアーキテクチャーと「建築」とは大きくずれている。そんな用語にアーキテクチャーをひきあてようというのだ。つまり伊東の本当の狙いには、単なる意匠を建造物において凝らすことのみならず、建て築くあらゆる行為に芸術概念を潜ませようとする広大な野望があったように思う。ゆえに「建築」はそのはじまりから雑ぱくな領域を相手にする覚悟を秘めている。当方はこのような「建築」が含む領域の「雑さ」に大いに共感する。

そしてこのような態度は関係領域が拡大しつつある「建築」の現在においてこそ有効だろう。
 さらに伊東は述べる。建築は学のみならず術において実現するものであるから、「学会」を廃止し「協会」とすべきことを。
 つまり彼の本当の主張は「建築」によるアソシエーションであった。この主張はその過激さゆえに受け入れられることなく忘れ去られていった。
しかし、ここにも学会が今後進むべき方向性がすでに込められていたと思う。それは学を基本として、さまざまな実践を含みうるような組織体というイメージである。これもいわば学に対する雑を含むものである。当方はこの伊東の思いを「建築」の「雑誌」という、いわば「雑」の二乗において、編集委員とともに着実にかつ挑戦的に成果を出していきたいと思う。

建築雑誌2010 の趣意

 それゆえ、2010 年からの2 年間の『建築雑誌』の活動目標は以下のとおりである。

・学を主体とした関連領域とのアソシエーションによる編集
・「建築」に関連する諸分野の新しい地図作りと人物発見
・問題提起、提案型......対立軸をきちんと紹介し、読者自身の検討の場所を産み出すこと
・これまでの建築型の評価と整理
・「開かれた学会」のためのひとつの方策として存在すること

 

 これらを実現するために討論的座談を行い、かつ有名無名・ソフトハードを問わず国内外の諸地域で生まれている建築的諸課題や活動を果敢に紹介検討する予定である。国内の最新の情報のみに関心を向けていると情報強者のつもりが情報弱者になってしまうような世の中なのである。
 また「開かれた学会を」という要求は、学を中心とする学会において常に要求される側面である。しかしその「開かれ方」は単に、口あたりの良い企画を行えば達成されるというわけではない。いま学会が何を課題にして、それに対してどのように行動しようとしているかをきちんと開示するということが、最低限すべきことなのだろう。果敢な一般社会のジャーナリストたちにも応えられるようなレファレンス(出典)としての雑誌づくりをもめざしたい。
 以下が、このような編集長の過大な要求に応じて集まってくれた、呉越同舟の編集雑人たちである。


 あ、それからもうひとつ。開けにくかった『建築雑誌』のビニールパッケージにミシン目をつけた(ビニール耐力の関係で1 冊の場合のみ)。
 ミシン目の両側から両手をつかって開けてみてほしい。簡単に開けられるだろう。この小さな改良に気づいて、ページを開く読者が少しでも多くなることを願いたい。

[なかたに のりひと・早稲田大学准教授/編集委員会委員長]