この雑誌の編集方針▶ 青井哲人

 

建築という「学・術」をめぐるアソシエーションの展望
Association between Those Involved in “Knowledge-Art” in Architecture

 

「3.11以後」?

会誌編集委員長の候補に決定したという連絡を受けたのは昨年5月11日、東日本大震災発生の2カ月後だった。打診に際しては、会誌に関するいくつかの具体的な会長方針とともに、「技術・学術を中心に、また東日本大震災の復興を基調とした編集を」といった意向が伝えられた。私も当然そうすべきだと思い、「がんばります」とお返事した。しかし、重要なのは震災をどう取り上げていくかだ。
 当時、本会会員をはじめ多くの人々が被災地に入り、マスメディアからは得られない現地の情報を電子メールやソーシャル・メディアを通じて克明に伝えていた。しかし、思想誌などでは(今でもそうだが)「3.11以後」を冠するいささか煽情的な言説がかなり流布しており、少なからず違和感があった。「以後」をことさらにくくり出す態度は、災害の知的消費になりかねない。歴史の堆積によってつくられている現実の持続性は強いし、新しい決断も時間の連続性の上に重ねられる。また、これまでに積み重ねられてきた蓄積は正当に評価=批判され、継承されてしかるべきだろう。実際、3.11以後に切実さを増した思考や実践のありようは、すでに3.11以前から顕在的・潜在的な潮流を形成していた。2010-11年の『建築雑誌』はそれを凝縮していたと思う。

東日本大震災と、建築という「学・術」

災害に向き合うとき、私たちは横断的・包括的であるほかない。地震や津波そのものは自然現象だが、「災害」は社会が生み出すものだからだ。人間は多様な自然環境にいろいろな技術を投じて種々の社会をつくってきたが、その特質によって「災害」の様相は大きく異なる。また、例えば20世紀の前半と後半とでは災害への向き合い方はドラスティックに変質したし、人口や経済が縮小していく今日の災害は成長期のそれとまったく意味が異なる。災害は社会現象であり、また文化的であることを避けられない。言うまでもないが、工学技術もまた社会的連関の内にあり、災害の様相を決める要因のひとつになる。
 広大な文脈に接続された建築という「学・術」は、もとより、このような認識や態度に最も柔軟に開かれた学問であり職能であった。本会はかつて、(狭義のアカデミアではなく)建築諸職能の開かれたアソシエーションたるべきことを自覚した時期が何度かある。現在の本会は「学・術」を核に据え、それを基盤に「建築」の生産にかかわる諸職能の協働、社会との連携を探求している。さらに、土木・造園など隣接諸領域はもちろん、人文・社会・自然諸科学との連携もさらに押し広げられていくだろう。東日本大震災はこの潮流を後押ししている。『建築雑誌』としてはこうした建築という「学・術」をめぐる広範なアソシエーションの探求を反映させ、また積極的に展望していくことが重要な責務だろう。
 災害を取り上げるにあたってもうひとつ重要なのは、災害が生み出す状況や諸問題を過度に特殊で一時的なものとして囲い込むのではなく、むしろつねに日常との関係のなかでとらえることだ。災害の経験を私たちの社会・文化にどのように編み込んでいくかが問われなければならない。一方、直接に災害を扱わない特集もむろん予定しているが、射程の広い切実な問いなら災害や復興に届く言葉になるだろう。編集委員会としては、建築の「学・術」の開かれた社会性・文化性という「原点」を確かめながら、射程を最大限に広げ、建築・都市の成り立ちを多角的に再検討していきたいと考えている。

世界地図と戦後史の描き直しを

戦後、日本地図は産業資本と官僚制の論理のもとで大きく塗り替えられてきた。この間に進行した首都圏一極集中が近年のグローバル経済のもとでさらに加速されてきたこと、現在の都市や建築のあり方がこれと無縁でないことを、東日本大震災は露わにした。私たちは地方とその多様性へのまなざしを回復し、日本と世界の地図を描き直していく必要がある。
 戦後という時代のもうひとつの特徴は、相対的に大きな災害がなく、しかもこの期間に極端な経済成長と技術的な「進歩」を遂げたことだ。あえて大局的に言うならば、古代から戦前期までの日本社会は災害を経済と文化に組み込んで「循環」的に組織してきた。これに対して、戦後は資本と技術を投下してこの循環を断ち切る方向へと明瞭に舵を切った。はっきりしているのは、リスクをコントロールする技術が向上すれば、一定範囲内のリスクは押え込めるが、一方でより大きなリスクを抱え込むということだ。福島原発だけがその例ではない。もちろん、技術を一方的に批判するのではなく、リスクへの理解を組み込んだ社会を築くのが重要だろう。
 私たちは、戦後に街や村がどう変わり、建物がどう変わったのかを辿り直し、それを推し進めた意図と仕組み、それらと密接につながった学知全般について、その歴史的な検証と、それを足場とする未来の構想を、いよいよ地に足のついた包括的な仕方で同時に推し進めなければならない。これも今期の『建築雑誌』の主要な方針のひとつである。

編集・制作体制

今期の編集委員会は、上記のような考え方をベースに、28名の多彩な委員の皆さんにお集まりいただいた。
 戦後ジャーナリズムの前線に立ち社会と建築の関係を見据えてこられた平良敬一氏には顧問格で大所高所からの助言をいただく。安藤正雄、田村和夫、渡辺浩文の3氏には幹事として、委員会に知的な緊張感と広がりを与えていただいている。大学だけでなく、民間企業、官庁、あるいは独立の立場で活躍される多様な分野の専門家に集まっていただいたのも今期委員会の特徴である。列島の北から南まで、地方から委員会に駆けつけてくださる委員も多い。また、被災地の現場に実践的に携わり、本会の支援体制を担い、なおかつ鋭い発言を展開されている方々に多忙のなか委員として活躍いただいている。牧紀男、饗庭伸の2氏には特に前委員会からの続投を要請した。
 アートディレクションには気鋭の若手デザイナー・中野豪雄氏を起用した。ハーバート・バイヤーの "WorldGeographic Atlas" を座右の書とされる中野さんの知的なグラフィックと私たちの編集意図とがどう交わるか。表紙の展開を含めて期待いただきたい。
 多彩な編集委員、デザイナー、ライター諸氏、制作担当(メディア・デザイン研究所)、本会事務局担当者をはじめとする多くの方々のアソシエーションによって今期の会誌をお届けする。考えてみれば、本会のなかでも会誌編集委員会こそはつねに最も横断的な協働の場だったのである。

多彩な連載ページ

今後2年間・24冊の『建築雑誌』では、特集に加えていくつかの連載ページを設ける。まず、表紙を開くとその見返しのページに、
・連載A「再建への意志:図面のなかの都市復興」
がある。本号では、カント、ルソー、ヴォルテールらヨーロッパ思想の潮流にも大きなインパクトを残したリスボン大地震津波とその復興計画図が紹介されているが、今後も縦横に時空を駆け巡る。これに続けて、
・連載B「連続ルポ 東日本大震災|動き出す被災地」
・連載C「連続ルポ 東日本大震災|仮すまいの姿」
を置く。Bでは被災地の現場での再生に向けた活動を、Cでは避難所や移住先などの実態とサポートの事例をレポートしていく。これらを両輪として、いわば見える震災/見えない震災の 広域・広範な現場を複眼的に記録していく。
 さらに2月号からは、特集ページの後に下記の連載記事を展開するので期待いただきたい。
・連載D「建築の争点」
・連載E「ケンチク脳の育て方」(偶数月)
「なぜ私は建築を選んだか」(奇数月)
・連載F「ケンチク脳の活かし方」(偶数月)
「Architect Politician」(奇数月)
・連載G「地域いろいろ・多様な日本」
Dは建築の各分野内、分野間、あるいは建築と異分野もしくは社会との間にある、さまざまな「争点」を取り上げる。論争が絶えて久しいと言われる今日の状況のなかで、しかし潜在的にくすぶる論点と構図を浮き彫りにして、議論の社会化・活性化につなげるページとしたい。EとFでは、いくつかの切り口から今日大きく揺らぐ「建築」と関連諸職能の現在形を、教育と社会の間に視点を置きながら広く展望したい。建築を学ぶ学生諸君をはじめとする若い会員を力強くエンカレッジするようなページになればと思う。Gは広大な日本列島の「地方」に焦点をあて、東日本大震災がまさに浮き彫りにしたような地域の多様性を描き出しながら、周縁的で複雑な諸条件がもたらす困難とともに、むしろそれゆえにこそ開かれる地方独自の建築やまちづくりの幅広い可能性を見出していく。

会誌コンパクト化、英語化

本号を手にされた会員はすでにお気付きと思うが、会長・理事会の方針に基づき、会誌後半の情報ページを大幅にスリム化した。記録性を重視し、紙媒体に残すべき記事は残したが、分量をスリムにしたものもあり、また告知などは今日の情報化の趨勢も踏まえて、このたび抜本的にリニューアルされるウェブサイトへ移行した。
 国際化への対応はまだとても十分とは言えないが、毎号の特集前言は全文英語化し、これを会誌のウェブページにも公開する。英語化とウェブ公開のあり方については引き続き前向きに検討していきたい。

未来へのアーカイブ

創刊126年目を迎える『建築雑誌』はそれ自体が多様な読み取りに開かれたアーカイブであり、今後も大きな知的キャパシティを担保し続けるだろう。今期の24冊も(当然のことながら)『建築雑誌』の名称を堅持する。そして、私たち編集委員会の仕事は、同時代の会員諸氏に質の高い情報を届け、議論のプラットフォームをつくるのはむろん、本会と会員が社会との間で何を考え、何をなしたのかの記録を、未来の読者にしっかり残すことだと思っている。

[青井哲人 Akihito Aoi/会誌編集委員長・明治大学准教授]

 

2010-2011 中谷礼仁