2014-12月号 DECEMBER
特集 フィールドワークとツール
フィールドワークを建築誌で特集するならば、〈フィールドワークの「対象」〉から分類して考えるのが一般的なアプローチと言えるのではないだろうか。集落調査、都市空間における行動領域調査、山谷地区の調査、団地の暮らし方の聞き取り調査、東京のスリバチ地形の調査など、どのような「対象」をフィールドとして選択するか、という「対象」の多様性を扱うことでフィールドワークの現在を考えるという内容となる。本特集では、編集会議での議論の結果、「対象」からアプローチする方法をあえて取らないということにした。われわれが替わりに選んだのは、〈フィールドワークで用いられる「ツール」〉に着目するというアプローチである。
あらためて考えてみるまでもなく、フィールド(環境)から何かを読解し、それを描写、記述していく過程においては、必ずなんらかの「ツール」が介在することになる。読解の段階で「ツール」が介在するケースもあれば、描写や記述の段階で「ツール」が介在することもあるはずだ。あるいは「ツール」自体がメディアだとするならば、「ツール」を使いこなしていくことで、身体そのものの感覚が変容していくこともあるかもしれない。「ツール」の特性を凝視することから、環境と身体との関係性について、今までとは違う考察を試みようというのが狙いだ。
今号の企画打合せにおいて、たびたび人類学者のティム・インゴルドが話題にのぼった。インゴルドは、人間が環境をうつしとる行為を「線描(drawing)」と「記述(writing)」という二つに分けて定義しているが、これを用いて、「線描(drawing)」とは環境に身体が反応して断片がうつされていく〈運動〉であるとし、一方で「記述(writing)」とは環境が体系を内包しながらうつされる〈運動〉であると考えた。そうすることで、「フィールドワーク」というものを、ツールを基点に、より分析的に扱えるのではないかと思ったのである。この私的な考察を用いて、本特集記事を分析し、右ページにマトリクスとして掲載した。私個人の感覚的な整理の枠を出ない部分もあるが、本特集を読み解く海図のようなものとして活用していただけたらと思う。
各論考を読み解いていくと、「ツール」は、単に環境を読解、記述するための道具という合目的な存在に留まらず、身体を環境に同化させていくためのインターフェースとなっていることがわかる。「ツール」を使い続けることで、「線描(drawing)」から「記述(writing)」に位相がずれる現象が、それぞれの取組みのなかで起こっていることがよくわかる。フィールドワークの「ツール」に着目するという、一見、カタログ的で短絡的なアプローチに思われるかもしれないが、本特集が、建築学にとらわれず、フィールドワークそのものを科学し、フィールドを構築する学として建築を再び組み立て直していくための、なんらかのきっかけになれば幸いである。
(藤原徹平)
会誌編集委員会特集担当
栢木まどか(東京理科大学)、黒石いずみ(青山学院大学)、篠原聡子(日本女子大学)、南後由和(明治大学)、藤原徹平(横浜国立大学)、真壁智治(エム・ティ・ビジョンズ)
[目次]
2 | 会誌編集委員会 主旨 |
4 | 原広司 環境をうつすこと─身体と環境の間・集落調査・写経 |
10 | 佐藤浩司 民家調査の現在 |
12 | 柳澤田実 身体・線・とりとめのない日常 |
14 | 千葉学 地図と自転車 |
16 | 槻橋修 「記憶の模型」によるフィールドワーク |
18 | 真壁智治 フロッタージュというツール |
22 | 飴屋法水×朝吹真理子 環境の触り方、言葉の探し方 |
28 | 伊藤毅 古地図 |
30 | 西川麦子 コミュニケーションツールとしてのラジオ |
32 | 加藤文俊 ツールを考えること |
36 | 乾久美子 「小さな風景からの学び」での試み |
38 | 下道基行 フィールドワークとカメラ |
42 | 石川初 運動競技のランドスケープ |
44 | 石塚直登 『球と迷宮 ピラネージからアヴァンギャルドへ』 マンフレッド・タフーリ |
45 | 暮沢剛巳 「メディアとしての建築」という問題提起 |
46 | 阿部俊彦 気仙沼内湾地区の「まち」と「海」の復興コミュニティ拠点 |
48 | 犬木登+犬木幸子 セキスイハイム |
49 | 稻用隆一 東京の状景 岩瀬諒子 ツタンカーメンの種子 尾内志帆 パンを介したつながり |
50 | 会誌編集委員会 編集後記 |