2016-5月号 MAY
建築の危機
今月号では、「1+1=2.1のデザイン」というテーマを通して、建築設計という行為を再定義できないかと考えている。言うまでもなく、建築学は非常に裾野の広い学問である。新しい素材を開発する人もいれば、素材の新しい使い方を研究する人、より効率性の高い機器を発明する人など、枚挙にいとまがない。そうした人々の絶え間ない努力によって、日々技術の向上が図られ、建築学の分野は深化と拡大を続けている。そうした建築学の全体像のなかで、建築の設計とはいかなる意味を持つのだろう。「建築の設計とは形を与える行為である」と言われることが多い。しかしながら、その定義に無意識に依拠するだけでは、建築設計という行為はただのかたち遊びになってしまい、他の建築学の研究領域と比肩しうるような体系をもたらすことはできないはずだ。
繰り返しになるが、建築の設計者は、素材の開発や、新しい構造形式の発明、環境技術の革新的発展そのものを行うことはできない。それらは、各分野の専門家たちがそれぞれの専門性を活かして担っており、それが各技術の急速な発展に貢献してきた。しかし、その分業が行き過ぎてしまうと、出来上がる建築が何を目指し、その大きな価値観のなかでそれぞれの技術は何を目標としているか、が往々にしてわからなくなってしまう。個別研究だけでは、建築学はただ細分化し、全体としての大きな目標を失ってしまうことになるだろう。
統合の作法としての建築設計
建築学の大きな目標を見失わないために、統合の作法としての新しい建築の設計学が必要となる。建築は、さまざまな技術が組み合わさることで成立する。しかし、逆説的かもしれないが、個々の技術を単に組み合わせれば、よい建築になるというわけではない。つまり、1+1を2ではなく2.1にできた時、初めてよい建築と言えるのではないか。そして、その0.1を意識的に生み出すことができる時、初めて建築設計という分野が存在することの意義が見直されるのだと考える。建築を生み出すこととは、テクノロジーへの信頼のうえに、それを構成する各種のエンジニアリングを組み合わせ、それを単純な総和以上の価値へと高めることだ。そして、それは機械論的な構成を超える、新しい建築論の萌芽を見つける機会をもたらすことができると考える。
全体と部分は異なる意味を持つ
20世紀初頭にドイツで提唱されたゲシュタルト心理学は、人間の知覚を部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いてとらえる点に特徴がある。つまり、知覚は対象に由来する個別的な感覚刺激によってのみ形成されるのではなく、それら個別的な刺激には分解できない全体的な枠組みが存在し、その全体的枠組みによって知覚が規定される、と考える。そして、全体的な枠組みにあたるものが、ゲシュタルトと呼ばれるのだ。例えば、複数の静止画を連続的に映し出すことであたかも動いているように見えたり、個々の音の集まりを時系列で並べることでひとつのメロディや音楽作品になったり、ある図形が並んでいる様子を見て特定の意味を理解したりすることは、ゲシュタルトの典型的な例である。ゲシュタルトの基本的な概念として、対象を全体としてとらえるという特質があり、その後、この考え方は各種心理学に受け継がれ、20世紀の認知論に大きな影響を与えた。つまり、全体と部分は異なる意味を持つということを科学的に証明したのである。さらに、同時代的な現象として興味深いのは、1968年に制作されたイームズによる「Powers of Ten」である。ここでは、スケールが変わることでまったく世界の見え方が変わることを、微生物のレベルから宇宙のレベルまでを横断しつつ提示している。つまり、20世紀の世界観は、スケールが変わると様相が変わる、という経験をベースにしていると言えるのではないか。
建築の全体性を取り戻すための「0.1」の作業
私たちは、全体が部分の単純な総和ではないことに気づいている。では、次の議論は、どのようにしたら、その総和に0.1を付加できるのだろうか、という点である。
小学校の算数で教わったこととは別のこと。「1+1が2にならないこともある」という視点は、私たちの思い込みを正し、さまざまな場面で重要な視点を提供してくれる。それぞれの担当部門を設置するだけでものごとがうまく進むと考える行政機関や会社組織、体の部位ごとに対策を施すことで治癒できると考える医療機関、都市は建築や都市工学の分野だけで考えられるという思い込みに基づいた大学教育、その他、多くの場所で「1+1=2」という思い込みが蔓延している。いくつもの場所で、「1+1=2.1」という状況が生まれ、それが積み重なる社会の総和は、きっととても豊かなものだと思う。
建築分野の内外問わず、素晴らしい方々にこのテーマに基づきお考えを披露いただいた。素晴らしい原稿の数々を通して、私たちなりの問題意識を掘り下げることができた。その様子は編集メンバーによる座談会というかたちで特集の最後に掲載している。
「1+1=2.1」という視点は、たこつぼ化しつつある建築設計界に対して重要な視座を提示できるかもしれず、また、建築とより高次の社会との関係を考えるきっかけになると期待している。
(川添善行)
会誌編集委員会特集担当
一ノ瀬雅之(首都大学東京)、大村紋子(納屋)、大森晃彦(建築メディア研究所)、金田充弘(編集協力、東京藝術大学)、川添善行(東京大学)、夏目康子(Lepre)、吉武舞(東京大学)
[目次]
004 | 会誌編集委員 主旨 |
006 | 清水博 「生きていく」ことの設計論へ |
010 | 山中俊治 拡張する身体のための義肢 |
012 | 岡安泉 新しい技術から生まれる新しいデザイン |
014 | 遠田敦 技術の向こう、建築の外 |
016 | 奥明栄 材料・設計・工法から成るそのとき最高の精度 |
018 | 渡辺晴男 自律応答型調光ガラス |
020 | 戸澤忠勝 木から導きだされる仕事のかたち |
022 | 桜井博志 伝統産業のなかから新しい価値を生み出す |
024 | 木越由和 建築と自動車のデザイン2.1 |
026 | 柴崎亮介 都市を支えるインフラサービスにおける1+1=2.1 |
028 | 篠原修 創作集団の伝統を復活できるか |
030 | 真鍋大度 1+1の1を読む |
032 | 赤池学 CSV、公益+事業益=2.1をデザインする |
034 | 甲斐徹郎 都市を自己組織化させる建築原理 |
036 | 石澤宰 あらためて、BIMとは何か |
038 | 金田充弘 コラボレーションのプラットフォームとしての組織の未来像 |
040 | 会誌編集委員 2.1のデザインが生まれる時 |
表紙裏 | 渡邉定夫 都市設計還暦 |
002 | 角田真弓 大工道具コレクションより、モールディング鉋 |
044 | 中桐正夫 国立天文台三鷹キャンパス内の建築群 |
045 | 乾久美子 パブリックとコモンズの違いが、今後の公共的建築を変化させますか? |
046 | 高橋正樹 モノとコトをデザインする─災害公営住宅におけるURのコミュニティ形成支援を通じて |
048 | 岩城和哉 ⑨東京電機大学建築意匠研究室 研究と創作 |
048 | 柴田久 ⑩福岡大学景観まちづくり研究室 実践と協働 |