2016-10月号 OCTOBER

特集= 建築のファスト・アンド・スロー


Fast and Slow in Architecture

 

特集 建築のファスト・アンド・スロー

食べもの・着るもの・建築

 どこの町へ行っても即座に同じ味が提供される「ファストフード」に対し、限られた産地や期間で手間をかけてつくられた食材、料理が「スローフード」と呼ばれるようになって30年余りになる。最新の流行を取り入れた衣料品を、デザイン開始から数十日で世界中の店頭に大量に供給する「ファストファッション」という言葉も定着した。一方そのアンチテーゼとして「スローファッション」という「少量のいい服を大切に長く着る」ムーブメントも発展してきている。

 この対語を建築や都市の世界に置いたとき2016年現在でどのような断面が見えるのか、本特集では15の論考と座談会により、さまざまな角度から考察と展望を試みた。

 長い時間軸と多大な資源投入が求められ、かつ一定の場所に固定される建築は、食べ物やファッションと比べて前提条件やインパクトが大きく異なる。また、都市がファストで田舎がスロー、あるいは施工をファストに運用をスローに、といった二分法が単純に過ぎるのは自明だが、各論考から明らかになったのは多種多様なかたちでの両者の混在である。

時間・生産・ライフスタイル

 近代産業の「ファスト的」工業の発展により、現代は一定の品質の建物を大量にリーズナブルなコストと工期で提供できるようになった。私たちはその恩恵を受けた社会基盤と地続きに暮らしている。従って、前近代の手仕事へのノスタルジーを喚起したり、損なわれたものをすくい取って「ファスト的」工業を批判したりするのは本特集の目的ではない。

 「ファストとスロー」の論考の対象は建築生産における時間や速度を中心としつつも、目的に至るための方法や生き方や思想まで拡大した。

 すなわち、「ファスト」に付随する生産工程の短期化、省力化、同時多発、大量生産といった意味合いにとどまらず、安定した前提条件において計画を策定する際の目的達成までの最短ルートを求める思考の総称もまた、ファストと呼びうるだろう。

 一方、「スロー」には地産地消に代表される採取から廃棄まで材料の大きな循環を考慮した消費、さらにはエシカル(倫理的)な生き方といった意味まで内包されることもある。本特集では、さらに各フェーズの境界を曖昧にする動き、プロセスにおける多様な介在を重んじ、目的へ向かうルートが回り道になったり、目的がずれていったりすることすら許容する動きについてもスローと定義した 図1

 各領域におけるアプローチ変化の過去と未来を行き来しつつ、「ファストとスロー」の対語を共存する一体としてとらえると、これからの社会構築に向けて個人と組織が抱える課題も見えてきた。

ファストに読むか・後ろから読むか

 本特集の構成にもまた、時間の流れが組み込まれている。まず、担当編集委員との企画初期での議論を踏まえ倉方俊輔氏が問題提起(pp.6-7)を行い、それと並行して担当委員は企画構成をさらに深化させ執筆依頼のテーマを絞り込んだ。各執筆者は特集の意図をおのおのの専門領域に落とし込んで論考を進めた。巻末の座談会(pp.36-40)は、出席者がこれら15本の論考にあらかじめ目を通したうえで議論を行ったものである。問題提起→14の論考→座談会→発行までの間にそれぞれ約2カ月ずつの時間が流れている。後ろから時間を遡上するように読み進めても、気になるタイトル・小見出しをホッピングしてファストに流し読んでいただいても構わない。全論考は3部構成としたが、執筆者それぞれが独自の視座から主題を切り取っており、別のグループ分けも可能である。日ごろ縁遠い領域のページに意外な接点が見いだせるかもしれない。

 各論考は建築生産に関連する設計、施工、材料にとどまらず、居住、働き方、まちづくり、金融・投資、文化財......と分野横断的な内容となっているが、図2に示すように残念ながらカバーできなかったテーマもある。また、執筆テーマによって生じる「ファストとスロー」の異なる切り口、定義のゆらぎはあえてそのままにしてある。座談会での議論に刺激を受けて執筆者や読者がさらに論旨を磨く展開も期待したい。ファストでスロー、あるいはスローでファストな社会へのアクションはすでに始まっている。本特集がその現状を共有する契機となれば、図2に示したキーワードのひとつ、「メディア(媒体)」へのささやかな補完となるだろう。

(今井康博、大村紋子)

会誌編集委員会特集担当
大岡龍三(東京大学)、今井康博(大林組)、大村紋子(納屋)、大森晃彦(建築メディア研究所)、北垣亮馬(東京大学)、中島伸(東京大学)

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[目次]

特集=建築のファスト・アンド・スロー

004会誌編集委員
主旨

第1部 二項対立を超えて
006倉方俊輔
社会と建築を変えるファスト&スローの思想
008竹ケ原啓介
金融や投資から考えるファスト&スロー
010中島伸
まちづくり(百年の計)は世代を超えられるか
012加藤亮一
建築工事の適正な工期とは?─算定プログラムの開発
014今井弘
国際支援におけるファスト&スロー─緊急から復興へ
016本江正茂
ワークプレイスへの二つの眼差し ファスト&スロー

第2部 建築生産の航路
018宮川宏
全体プロセスと施工をつなぐもの─「時間」の観点から
020豊田啓介
グローバルなシステム環境としてのファスト
022アンドリュー・ワウ
スロー、スロー、クイック、クイック、スロー─未来へ向けて木材をめぐるフォックストロットダンスを踊る
024加藤渓一+坂田裕貴
はじまりは「ファスト」、住み手と共に「スロー」な家づくり

第3部 地域性の価値転換
026米山勇
Fastな日常のなかのSlowな異空間─銭湯
028馬場未織
都市的ファストを利用し、田舎的ファストを手に入れる二地域居住者の視点から
030矢ヶ崎善太郎
材料を吟味して数寄屋をつくる、ということ
032山下保博
時代が「チソカツ」を呼んでいる?─地域素材の利活用
034稲葉信子
文化遺産保存とスロームーブメント

座談会 クリックするとPDFで記事をご覧いただけます。また、目次最下部にも全文掲載しています。
036山梨知彦×野田恒雄×中島伸
ファストとスローのはざまで

連載

My History⑩
表紙裏 石井幹子
 明るい未来に向かっていたころ

近現代建築資料の世界 ⑩
002藤岡洋保
中條精一郎絵葉書資料(1903-1907)

これからの公共的建築のつくり方 ⑨
041清水義次
デフレ・縮退時代の建築行為に求められることは何ですか?

未来にココがあってほしいから 名建築を支える名オーナーたち ⑩
042高橋和也
自由学園 南沢キャンパス

震災復興の転換点 ⑩
044井出明
震災遺構の多面的価値─モノとココロを承継する

近代日本建設産業史再考 統計資料からのアプローチ ⑥
046宮谷慶一
鋼材:『製鉄業参考資料』

研究室探訪
047大塚秀三
⑲ものつくり大学 建築材料施工研究室 建築材料と施工
047三浦秀一
⑳東北芸術工科大学 建築・環境デザイン学科 自然エネルギーのまちづくり

編集後記
048会誌編集委員


ファストとスローのはざまで
Between Fast and Slow

[話し手]
山梨知彦 Tomohiko Yamanashi
日建設計常務執行役員、設計部門副代表/1960年生まれ。1984年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1986年東京大学大学院工学研究科都市工学専攻修士課程終了。著書に『BIM建設革命』ほか。作品に「ホキ美術館」(2013年日本建築学会作品選奨)、「NBF大崎ビル(旧ソニーシティ大崎)」(2014年日本建築学会作品選奨・日本建築学会賞[作品])ほか。

野田恒雄 Tsuneo Noda
no.d+a(number of design and architecture)代表、横浜市都市デザイン専門職/1981年生まれ。2003年東京都立大学(現首都大学東京)工学部建築学科卒業。青木茂建築工房を経て、2005年福岡にてno.d+a、TRAVELERS PROJECT設立。作品に「冷泉荘(2009終了)」「紺屋2023」等の建物再生・運営を行う。2010年アーバンデザイン賞・福岡市都市景観賞受賞。

中島伸 Shin Nakajima
東京大学大学院工学系研究科助教/1980年生まれ。2013年東京大学大学院工学系研究科修了。博士(工学)。都市計画史、都市デザイン、景観まちづくり。日本都市計画学会論文奨励賞、日本不動産学会湯浅賞(研究奨励賞)博士論文部門受賞。共著に『図説都市空間の構想力』ほか。

[聞き手]
大岡龍三 Ryozo Ooka 東京大学教授、会誌編集委員長
今井康博 Yasuhiro Imai 株式会社大林組、会誌編集委員
大村紋子 Ayako Omura 株式会社納屋、会誌編集委員
大森晃彦 Akihiko Omori 建築メディア研究所、会誌編集委員

特集を振り返る ─「ファスト・アンド・スロー」とは

─今回、ファストとスローという対語による特集企画にて、多様な論考が得られました。まず、全記事をお読みになっての印象等についてお聞かせください。(今井)

山梨 今の世の中はファストが大前提になっていますが、もっとスローにするべきだという気持ちや現象が、個人レベルでも社会のレベルでもいろいろなところにたくさん存在していることをあらためて確認できました。今井弘さんの論考では、災害後のファストエイドの必要性についても書かれていて、適材適所でファストとスローを共存させることは現代的なテーマですね。

中島 私の論考では、まさに適材適所かつ「ほどほど」をどう狙うかが都市計画やまちづくりではすごく大事だと述べたつもりです。ファストとスローどちらかではなく、そのグラデーションが豊かさであり、建築・都市以外の分野でも同じような状況があると思いました。

野田 私はファストとスローというテーマを、二項対立でも二方向でもなく、人間は生きていくために最適経路を選ぶという意味での「合理性」の観点でとらえました。かつて、高度経済成長の時代は、ファストに合理性を見いだしていましたが、今スローに注目が集まっているのは、スローに合理性を見いだしているからだと思います。一方でまだファストにも価値や役割があり、スローだけに絞っては見失うものがあります。

山梨 ファストとスローは絶対的に対立しているものではなく、スローは今すでにあるもののスピードを遅くする意志のことであり、逆にファストは早める意志だと思いました。20世紀はファストが正しく、BIMはそういう時代に生まれたツールです。しかし、3次元での設計は手間が掛かるものですし、最近はスローな建築をつくるためのツールとして使えるのではないかという動きが出てきています。ビジネスの世界でもスローであることの合理性を見いだそうとし始めています。その「合理性」をそれぞれの立場の人たちが探しているというのが、特集すべての論考の共通点かもしれません。

小さな判断の繰り返しとリスクヘッジ

中島 とてもよくわかります。実際にファストとスローを考えるときは、ショートとロングという「ターム(期間)」の問題として考えますね。馬場未織さんの論考で田舎的/都会的ファストの「失敗」が取り上げられていますが、ここでの田舎的ファスト=ショートは失敗を許容できるようにしておくということですし、スロー=ロングは判断に時間を掛け、失敗のないものにすることです。復興の現場でもリスクの取り方が2種類あります。例えば、「リノベーションまちづくり」において、若い人たちの参入機会を増やす動きは、ファスト=ショートにして何回もチャレンジできる方がいいです。逆に、原発事故は取り返しがつかないので、再稼働などの判断はなるべく一回で間違いのないようにするべきです。個人や集団のスケールによって違いますが、みんなで考えればよい答えが出る、という課題でなければ、議論を蓄積するのではなく、なるべく少人数で素早く結論を決め、実際に動き出すことが大事です。リスクも考え、失敗をどう許容するか、しないかを社会のあり方とセットにして制度化したり、保証したりしていくとより動きやすくなり、かつサステナブルな社会になると思います。

山梨 ショートタームでの判断を積み重ね、絶え間ない軌道修正を繰り返すことで、ロングタームでの計画を実行している例で言えば、ソフトウェアでは「アジャイル開発」ですし、宮川宏さんが書かれていた「コンカレントエンジニアリング」も同じような意味ですね。ショートとロング、ファストとスローは混同されがちですが、物理的に短い・長いというショート・ロングの話と、相対的にファストやスローであろうとする意志の話は違うものですね。大きな計画をガチガチにつくってきた20世紀の計画論ではなく、修正をしながら、時と共に歩むスローな計画論が可能になっているかもしれません。そんなことをみんなが感じ始めているということをこの「ファスト/スロー」という言葉で議論した方がいい気がします。

野田 僕たちの世代は、大きくファストに始めるというより、小さくスローに進めるという感覚が強いように思います。大きくファストに始めるような仕事がないということもありますが、現場感覚として、一見効率が悪く見えるかもしれませんが、あえて手間暇を掛け、スローにやる方が、結果的に合理的で最適だと判断しています。

 新国立競技場や東京オリンピックのエンブレムの問題は、有識者のお墨付きのみで決めるという手法を採用してみたところ、それが現代社会においては合理的ではなかったことによって生じたように見えます。事務局側からすれば、広く民意を問うのは進行リスクが高いと敬遠したのだと思いますが、非効率でもスローに民意を問うプロセスが必要だったと思います。だからと言って何でも民意に問うとブリグジット(Brexit)のようなことになり、結局有識者のせいにするのと同じことになっていきます。ですので、全体のタームのなかで、各プロジェクトや事業を成就させるために、20世紀的にファストに進めるところとあえてスローにするところ、という使い分けが重要なポイントになるはずです。

シミュレーションと社会実験の可能性

─個人で判断できる範囲においては、ファストかスローか割と自由に選べるのですが、これが集団、例えば、組織の運営などになると、必ず「なぜファストを選ばないのだ」と言われますよね。そのときに、きちんと説明できる言語がないのが問題なのでしょう。(大岡)

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野田 スローは「delay(遅らせる)」とは違うはずです。結果的にゴールまでの時間が長くなるかもしれませんが、「それはdelayではなく最適なのです」と説明するのだと思います。ただその際、建設業のビジネスモデル自体が変わらないと厳しいですね。工期が工費に直結する限り20世紀的ファストが依頼主からは要求されますし、設計料が工費と連動する限りスローな手法に説得力がありません。ですから、僕は事業自体にかかわり、利益をクライアントとシェアできるようなかたちにすることで、時間を掛ける提案に信用と説得性を与えるようにしています。

山梨 本江正茂さんの論考でもライフサイクルへの関与の方法が論理的に書かれています。やはり年単位で考えるのではなく、労働生産性をより長い期間、連続的にモニターできれば面白くなります。建築の設計者や施工者は竣工によって手離れしますが、実はそこまでのコストはライフサイクルコストのわずか20〜30%です。ライフサイクルに関与できれば、シミュレーションによって絶え間なく軌道修正しながら運用ができます。ワークプレイスも、今は設計者が箱をつくり、家具屋さんが家具を入れて、総務部が運用していますが、あまりクリエイティブな方法ではありません。連続的にモニターして、そこからどうフィードバックをするとROI(Return On Investment)が最高になるか、ライフサイクルデザインに関与するためのプラットフォームをつくることが、建築における重要なスロー対策だと思います。都市計画もつくって終わりではなくて、都市のライフサイクルのなかで主導していくプラットフォームが必要です。

 大量生産ではなく個別一品生産が原則の建築においては、シミュレーションの役割は大きいと思います。ヴァーチャルな試行錯誤によって、クオリティを高めることができます。それをさらに運用についてもシミュレーションするようなICTの使い方ができれば、建築のパラダイムが大きく変わる可能性があります。運用との差異を把握したり修正したりするのも建築家の仕事になると思います。

 最大8万人収容の新国立競技場ができますが、それに合わせて千駄ヶ谷駅を拡大するというのは20世紀的。まず建築で解決を図らねばと発想し、ドタバタとファストにつくる。ですが、ICTを使ってキャッシュバックなどのインセンティブを与えつつ、人の動きや群をソフトウェアでコントロールすれば、ごく少ない投資で8万人ぐらいは自由に動かせそうな気がします。

中島 都市計画もやはりそこがすごく注目されており、「タクティカル・アーバニズム」と言われる概念が注目されています。都市は一度つくってしまうとなかなか動かしにくいのですが、例えば、期間を決めて試しに車線を減らす社会実験をし、利用者がそれを評価します。合法か違法か脱法か、という話は置いておき、実験を繰り返し、定常的に落ち着いていくと、実はそれがひとつの空間モデルになっているというものです。アクション自体はファストですが、うまくいった場合は延長することで常態化させていくことができます。つまりショートがロングに接続する可能性があります。建築でもすでに建っているものや建ちつつあるものに実験の要素を入れて、軌道修正していく方法も今後出てくるだろうと期待しています。

山梨 面白いですね。パラメーターは決めるけど形自体は決めないコンピュテーショナルデザインと軌を一にしていると感じました。

野田 社会実験は、さまざまな制約を突破するときのひとつのツールですよね。非公式性を活かすというものです。そこから公式にしていくという、20世紀的にはスローな、でも現代的には合理的なアプローチということだと思います。最初からゴールを完璧に決めず、途中で手を入れるチャンスを残して進められる状態は、不測の事態に対応できない20世紀的な計画とは違う進め方です。むしろ予想外のことが起きない状況はイノベーションが生まれない状況でもありますから、投資も含め最低限かつ最適な「初期設定のデザイン」が重要ではないでしょうか。

価値観の転換─豊かさや幸せの指標とは

山梨 日本では1960年代までは計画したことをそのまま進められるパワーもありましたし、ファストに進めることで社会にも還元できたわけですが、それ以降、実際に起きていることは、急ぐ必要がなくなりつつも、かつての時代の美学や社会規範を背負っています。今や大型のプロジェクトが遅延することも普通になっていますが、みんなそれに対して「急いでいるのだけど遅れている」という後ろめたさを抱えています。ですが、そうではないと。20年前に考えたことを無駄に実行しようとするよりも、軌道修正しながら進めるやり方も、民間の仕事では起こり始めています。

 スティーブ・ジョブズが亡くなる寸前に「人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方がいい。私が死後に持っていけるものは、愛情に溢れた思い出だけだ」というようなことを言っています。日本は経済や人口がシュリンク(縮小)すると言われていますが、実はスローになろうとしているのかもしれません。普段、民間の大手ディベロッパーのトップから直接お話を伺う機会が多いのですが、この30年ですごく変わったと思います。採算はベースにありますが、関心はそれよりも、それが楽しいかや、にぎわいが生まれるか、本当によい街ができるかということをけっこう真剣に考えています。今、人々は都市や暮らしを本当に良くし、原発の心配がない街をつくろうというところまでリテラシーが上がってきていますが、まだそのロジックができていません。資本家も幸せになる投資を語れないことが弱みですし、21世紀後半の課題になるのではないかという気がしています。

─例えば、民間開発での外部空間づくりの価値は、取組み努力は理解されても、財務指標的には評価されにくいです。非財務的価値で評価するロジックがあればよいのですが、それを指標とするとまた違う価値が逃げていくような気もするのです。(大村)

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山梨 木材の活用も、経済論理で説明されたり、山の復興とも言われたりしていますが、実は本質的には心の問題へ向かっていて、「木はいいよね」という直感があると思います。「スローフード」における「おいしい」に当たるような、幸せな材料を探しているのではないかと思います。説得力があり共有できる価値観が必要だと思いますが、今は「ブランド」という言葉で片付けられていて、ブランドを語ることはできるけれど、ブランドバリューを的確にはかる指標がないのですね。本当は経済指標ではない、新しい指標ができたら素敵だと思います。

野田 竹ケ原啓介さんの論考で「社会的責任投資」について書かれていますが、投資する人にどういう指標を示すか、そして成果をどう説明するか。ソーシャルビジネスなどこれまでの経済原理ではない、社会的インパクトとその評価軸を考えると建築家のかかわり方も変わってくると思います。

─「人を気持ちよくする空間」としては、米山勇さんの「銭湯建築」の論考で、都市における非日常、人々の暮らしのなかで時間の流れを変えるような「建築的な仕掛け」に注目されていました。都市の固有性をどう評価し、どう使っていくかは、大切な話ですね。(大森)

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中島 mosaki(モサキ)が「マイパブリック屋台」という活動をしています。小さな屋台を街に出し、道行く人にコーヒーを振る舞っています。彼らはそれを「第三の趣味」と呼んでいます。第一の趣味は自分の充足のため、第二の趣味は自分の家族等、他者のため、そして、第三の趣味は不特定多数の人のために自分がしたいと思うことをやる趣味というわけです。あくまで趣味だから好き勝手にやるし、まず、個人の幸せがあり、かつ街中でそれに偶然出会って幸せを受け取れるうれしさがあるのです。ある目的が別の目的にもつながっていますし、価値の取り方で結果が変わっていくのが魅力的です。シンプルな活動ですが、街中でそういうことをする人がもっと増えたら面白くなると思います。

野田 2014年に横浜市に入って担当したのが「横浜都市デザインビジョン」でした。不確定要素の多い流動的な今の時代は、市長や有識者といったごく一部の人だけで先のビジョンを設定することは不可能ですし、意味もないと思います。そう考え、デザイン室内では大激論になりましたが、最終的にあえて具体的な絵は描かず、「個々人がそれぞれの生活空間を豊かにしたいという利己的な思いを都市の豊かさにつなげるのが都市デザインであり、だからこそ自分を豊かにすることから考えてください」という姿勢・思想を示しました。自分の生活に精一杯で第三の趣味を持てない人や、ただ見ている、聞いているだけの人たちをどこまで巻き込んでいけるかが、次の時代のポイントだと思います。

山梨 最近、人工知能やシンギュラリティが話題になっていますが、それによってデバイスからさまざまな知識が得られるようになれば、人間は考える時間が増えます。ひょっとしたら歴史上初めてスローな価値を見いだす準備が整いつつあるのかもしれません。産業革命以降、機械やコンピュータは加速するためのものでしたが、性能が上がり、生活のなかで必要なファストな部分を担ってくれるとしたら、人間がスローな世界に戻れるかもしれません。

中島 それはすでに少し実現されていますよね。ただ、その時間をうまく使える場合もありますが、浪費するだけの面もあり、20世紀や以前の人間と今の自分を比較して、豊かになったとなかなか思えないのも悩ましいところです。

山梨 今、僕らはここで必死に議論していますが、一方で「そんなことどうでもいいじゃないですか。寝ましょうよ」と言っている人が地球上にはいて、SNSでつながっています(笑)。グローバルな情報ネットワークによって、低気圧と高気圧のような関係で、スローを志向する皺と、ファストを志向する皺が世界中で動的に動いています。ファストになりたい人はファストな領域へ、スローでいたい人はスローな領域へ移動することが現実に可能になってきています。世界が均質に同じ方向へ向かうのではなく、地域によってスローとファストが適切に混ざり合い、それがネットワーク化されて共有、交換されることで21世紀的なまちづくりや都市づくりができそうな気がします。そうした不均質な皺をデザインすることが国土計画なのかもしれません。ネットワーク化された動的な世界をセンシングデバイスなどで把握しつつ微調整していくという新しい都市が可能になってきていると思います。

野田 スローに価値を見いだすのは確かに歴史上初めてのことかもしれませんが、過去にスローな社会に移行しかかったことはあったと思います。例えば、農村です。農村は、労働力の供給によって工業化と都市化を支えたわけですが、実はそれは、時間的効率性や生産性に追われる意味でのファストな農業構造からの解放だったのかもしれません。当時は、豊かになっていく都市に目を奪われ、スローであることの価値に意識が向かなかっただけ。ですから世界的な偏在と言わずとも、国内でもすでにファストとスローは共存していると言えます。ただ、相互に人が行き来するには高いリテラシーが必要ですし、そうした動的な社会はゆらぎのある社会ですから、社会的不安が高まります。不安というのは、気持ちの問題ではありますが、「安全側へ、安全側へ」と行き過ぎると、動的な環境が失われ、何も新しいものを生み出せなくなります。また、「もうこの人に適当に決めてもらえたらいい」と、民意が極端になるケースも出てきます。行政としては動的性と安定性のバランスの取り方が今後の課題になると思います。

中島 ある納得性が得られる社会システムをどう描くかですね。行政の政策も無謬性を主張して「間違ってないんだ」という方向でいくのは、やはり20世紀的なやり方です。今後あらゆる提案は、そもそも複雑な状況に落としこまざるをえないのだから、広がりやレンジがあり納得性のある話にどう着地させるかがすごく大事になると思います。個々の選択を自己責任として切り捨てるのではなく、そのとき考えうる最大限のリソースから選択し続けられるという持続性と共通理解をどう目指すかですね。

山梨 共通認識すら先ほどの皺のたとえで言えば、非常に不均質になり、少しずれた認識が同時多発的にオーバーレイして存在しているという状況ですよね。全員が納得することはできないけれど、ほぼよさそうな目標を定めてやってみる。うまくいかなければ、より可能性を見いだせた人がやってみるというダイナミックなバランスをどうやってとるか。そして、その仕組みが今求められている。つまり、疲れた人はいつでもスローに戻れる状況を求めつつ、アクティブな人生のなかでファストを求めることを自由に選択できるような世の中をどうやってつくるか、というのが実はスローとファストという言葉で求めようとしていたことなのではないかと思います。

野田 独立後10年間、自分のやっている方向性に不安を感じていましたが、最近は世の中の動きと重なっている実感が得られるようになってきましたし、今日は自分がこれまでやってきたことが間違っていないと思えました。やはり、時間に対する意識、それをいかにデザインに盛り込んでいくかに取り組みたいと思いますが、まだまだこうしたスローな観点を持つものへの評価があまり見えません。建築メディアや評論にはこれまでとは違う切り口で見てもらいたい思いもありますし、業界全体にもパラダイムシフトが起きることを期待します。

山梨 大きな意味で社会規範の変化が起きつつあり、計画できない将来をどうやって計画するのか。先読みしつつ絶え間ない軌道修正をしていくという新しい計画論の地平が開けそうな気がしました。「ファスト・アンド・スロー」は、新しいグローバルのあり方を考えるきっかけになりました。

2016年8月12日、建築会館にて
文=millegraph 写真=蔵プロダクション