2018-6月号 JUNE
特集11 「構造の常識」の過去・現在・未来
「要するに私は構造家は常識が豊でなければならないが常識的であつてはいけないと云ひたいのである」
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これは、『建築雑誌』(昭和21[1946]年7・8月号)に書かれたエッセイの一文である。エッセイのタイトルは「構造の常識」。著者は当時の京都大学教授で、後に本会第28代会長を務めた棚橋諒(1907-1974)である。まず、棚橋諒について簡単に紹介してみたい。
棚橋が昭和10(1935)年に28歳の若さで発表した「地震の破壊力と建築物の耐震力に関する私見」[A]では、いわゆる速度─ポテンシャルエネルギー説が述べられている。これは地震と建物の関係を「力」ではなく「エネルギー」(「力」と「変形」の積)の観点からとらえたもので、この考え方は、保有水平耐力計算をはじめとする現在の日本の耐震基準へと受け継がれている。棚橋はその後、京都大学防災研究所の初代所長や本会会長を歴任することになる。
棚橋の業績・足跡だけを見ると、偉大な構造学者という印象を持つが、このエッセイは、むしろ、もっとその人間像を知りたくなるような、現在に生きるわれわれにも通じる普遍的な哲学を持つ建築人としての棚橋像を浮かび上がらせている。
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「一つの建築にはその型をあたへ、空間をあたへる構造があり、又型と空間をあたへる構造の上に建築が成立するのである。従つて計算をしてもしなくても建築家は構造家でなければならず、第一義的な構造家は同時に建築家でなければならない」
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これは果たして誰に向けたメッセージだったのであろうか。戦後1年にも満たないという明らかに現代とは異なる時代背景のなかで書かれているにもかかわらず、まるで今を生きるすべての設計者に訴えているかのようでもある。菊竹清訓が『代謝建築論』のなかで「か・かた・かたち」として建築論を記すよりも20年近くも前に、棚橋は「形」ではなく「型」という語を用いて構造と建築の関係を述べている。また、"構造家"という語を用いているのも示唆的で、もう少し紐解いてみたい、という魅力に満ち溢れたエッセイではないか。
棚橋によるこのエッセイは大きく五つの主張が含まれている。
ひとつ目は、意匠・構造の不可分性から建築家・構造家のあるべき姿(職能領域を限定してしまうことへの批判)を述べていることである。次のような文章がある。
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「構造方面のことにたづさはるものにとつては歴史的な建築史的な事柄は殆ど不要に思はれて居る様である。しかし本当の構造家はあたへられたストラクチュアについて計算をしてその部分部分の大きさをきめると云ふ仕事に止まるのでなくて、どの様なストラクチュアを変へるかと云事にまづ第一のそして第一義的に重要な仕事があるのであるから、建築史的な事柄についてもおろそかであつてはいけないと思ふ」
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この一文からは、計算屋的な構造設計者がすでに存在していたことが読み取れるが、それに対する痛烈な批判でもあろうし、構造主義とその反動とも言える分離派との思想的対立への批判とも読み取れる。
二つ目は、建築の背景(構法や施工可能性、利用可能な材料、設計基準を含むデザインの論拠等)を知ることの重要性を述べていることである。
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「一つの構造法にはそれを生む一つの背景があり、他の構造法にはそれを生む他の背景がある」
「古い建物の中に立派な数学がかくされて居る」
「我々は古いものから皮相でなくてその深慮に横はるものを学びとらねばならない」
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棚橋は日本の耐震構造規格に関し、戦時であったからこそ許容応力度設計だけでなく終局強度設計へのシフトが生まれたと述懐している[B]が、社会背景が建築の設計基準をも変えうるということを身をもって体験していた人物でもある。
三つ目は、創意の重要性(と同時に経験が創意の邪魔をする可能性があること)を述べていることである。
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「新しい構造を生み出して行く創意の力を持たねばならない」
「創意の力はどうしても二十代三十代の人々に期待しなければならない。この様に創意の力の発揮されることを妨げるものは中老年の人の経験である」
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棚橋は28歳の若さで速度─ポテンシャルエネルギー説にたどり着き、直後に真嶋健三郎や河野輝夫との『建築雑誌』上での論戦を経験している[C-H]。"中老年の人"が具体的に誰を意識してのことかは知る由もないが、自説に縛られる年長者とならぬための自戒とも読める。
若い人の台頭を純粋に待ち望んでいる様子もうかがえるが、もし棚橋が現在に生きていれば、実績主義という名のもとに若手を排除し続ける現在の建築界をどのように評するであろうか。
四つ目は、創意(経験を超えた創造)のためには科学的思考・態度が重要であることを述べていることである。
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「整理された経験は尊重しなければならないが、科学的に整理されて居ない経験は甚だ迷惑なことが多い」
「勿論新しい工夫は不測原因による失敗に終ることもある。しかしその不測の原因が新しい科学の検討にゆだねられると云ふ意味で人類の文明の進歩に寄与することは測りがたい程である」
「我々は我々の知れる限りの智識に於てあらゆる角度から科学的に検討し、判らないことは判らないとして、新しい試みをする権利があり、又義務もあるのである」
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棚橋は昭和18(1943)年に鳥取地震の被害調査に赴いたなかで、さほど距離の離れていない集落間で被害状況に大きな差があることに気づき、地盤のことを考えねばならないと思った、と後に述懐している[B]。そして、実際にP波やS波の測定を実施している。軟弱地盤はよくない、という経験(一般論)に対し、それを科学的に説明しようとしたわけである。棚橋は決して経験を疎んじているわけではなく、経験的に"よい(悪い)"とされていることが、なぜそうなのかを考えよと言っているのである。そして、それと同様に、よいと思うことを実現するための努力を惜しむなと力強く述べているのだ。
五つ目は、それら4点を踏まえた総論として、常識を豊にせよと説いていること、さらに、教育の責務に言及していることである。
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「構造家は創意の力がなければならないが、同時に常識もなければならない。それはあらゆる角度から検討し判断する力が必要だと云ふ意味である。常識的な構造家では文明に寄与するところは甚だ少ないのである」
「この様なクリエーティブな仕事が、建築家、構造家に委されて居るのである。併し乍らその様な仕事をするためには当然それに足る資質と訓練が必要なのである」
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棚橋がどのような意図で"構造家"という語を用いたのかはわからないが、建築家と対等な存在としての構造家を意識していたことはこのエッセイに強く表れている。また、京大教授という自らの立場が、訓練が必要、という語を書かせたのであろう。
以上が、棚橋のエッセイの五つのポイントとなる。これらを総じて「構造の常識」と言ってもよいであろう。
この1946年に書かれた数々の言葉は、2018年の現在においても何ひとつ色褪せることのない普遍性を帯びており、滲み出る思想(豊かな「構造の常識」を持つこと)はいわば哲学でもある。時代とともに建築やその背景は変わり続けてきたが、この哲学自体は何も変わっていないのではないか? ならば「構造の常識」の視点で戦後日本を振り返ることができるし、また、この先をも展望することができるのではないだろうか? それが本特集の出発点である。
戦後日本を振り返った際、時代のフロントラインに立ちながら構造設計の立場で新しい建築を創造し続けてきた先人が少なからず存在している。彼らには創意、すなわち時代の要請に応じた建築を創造せんとする意志があり、その創造に必要な技術に対する彗眼があった。つまり、彼らは時代に応じた「構造の常識」を持ち合わせていたはずである。出来上がった建物と用いられた技術とを一対一の関係として俯瞰するのではなく、その時々の「構造の常識」がどのようなものであったのかについて併せて考えることが真に構造を歴史的に考えることにつながるのだとここでは考えたい。
本特集では、棚橋が「構造の常識」を書いた1946年を出発点に2020年までを、四つの時代に区分し、その折々の「構造の常識」について、その時代を生きた構造家へのインタビューを通じて明らかにし、戦後から現代にかけての日本建築を構造的視点で振り返る。
そして最後に、2020年以後も「構造の常識」が豊かであるためにはどのような建築構造教育がなされていくべきか、若手教員による座談会を通して展望していく。
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[満田衛資・木村俊明・永井佑季・藤田慎之輔]
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参考文献|●[A]棚橋諒「地震の破壊力と建築物の耐震力に関する私見」(『建築雑誌』第599号、1935.5、pp.578-587)|●[B]武藤清、山本学治、棚橋諒、坪井善勝ほか「構造(創立70周年記念座談会)」(『建築雑誌』第833号、1956.4、pp.29-46)|●[C]河野輝夫「剛構造論を支持す」(『建築雑誌』第607号、1935.12、pp.1579-1584)|●[D]棚橋諒「河野輝夫氏の『剛構造論』を支持せず」(『建築雑誌』第613号、1936.6、pp.604-607)|●[E]河野輝夫「剛構造論に就いて棚橋諒氏に答ふ」(『建築雑誌』第614号、1936.7、pp.736-742)|●[F]棚橋諒「再び河野輝夫氏に答ふ」(『建築雑誌』第618号、1936.10、pp.1108-1110)|●[G]真嶋健三郎「棚橋諒君の新説(地震の破壊力と建築物の耐震力に関する私見)を一読して感想を述ぶ」(『建築雑誌』第604号、1935.10、pp.1202-1205)|●[H]棚橋諒「真嶋博士の批評に答ふ」(『建築雑誌』第609号、1936.2、pp.158-161)
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本特集に関する参考図書|●『建築文化』1990年11月号/特集=「建築の構造デザイン」|●川口衞ほか『建築構造のしくみ─力の流れとかたち(建築の絵本)』(彰国社、1990)|●齋藤裕監修『Felix Candela:フェリックス・キャンデラの世界』(TOTO出版、1995)|●『建築文化』1997年1月号/特集=「モダン・ストラクチュアの冒険」|●日本建築構造技術者協会編『日本の構造技術を変えた建築100選 戦後50余年の軌跡』(彰国社、2003)|●斎藤公男『空間・構造・物語─ストラクチュラル・デザインのゆくえ』(彰国社、2003)|●佐々木睦朗『Flux Structure フラックスストラクチャー』(TOTO出版、2005)|●金箱温春『構造計画の原理と実践』(建築技術、2010)|●JSCA構造デザインの歩み編集WG編著『構造デザインの歩み:構造設計者が目指す建築の未来』(建築技術、2010)|●日本建築学会編『建築の構造設計 そのあるべき姿』(2010)|●川口衞、佐々木睦朗、金箱温春ほか『力学・素材・構造デザイン』(建築技術、2012)|●小澤雄樹『20世紀を築いた構造家たち』(オーム社、2014)|●斎藤公男『新しい建築のみかた』(エクスナレッジ、2014)|●川口衞『構造と感性:構造デザインの原理と手法』(鹿島出版会、2015)|●佐々木睦朗ほか『構造・構築・建築 佐々木睦朗の構造ヴィジョン』(LIXIL出版、2017)
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棚橋諒「構造の常識」(『建築雑誌』1946年7・8月号)
本会ウェブサイト(https://www.aij.or.jp/)にサインインのうえ、
「アーカイブ検索」→「本会発表論文等検索システム」にて無料ダウンロードが可能です(会員外は有料)
特集12 やわらかなビルドデザイン
村松貞次郎は、工業生産や大量生産を前提とする近代建築技術を「硬い=画一化・均質化・標準化・規格化」とし、対して日本の建築技術は「やわらかい=不均質・個性的・特質的・バラバラ・あいまい・千差万別」と述べた[1]。同様に、宮大工の小川三夫は、千差万別な人材と共に、不揃いな木材を組んできたと言った[2]。1月号第2特集の議論を継承するならば、この「やわらかさ」こそ、大量のデータを高速に処理することのできるデジタル技術が、最も能力を発揮する領域であると考えられるだろう。
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また、村松は、ロールスロイスを例に「近代技術と手仕事の統合」を構想し、その夢をコンピュータに託している。現代に生きるわれわれに問われているのは、デジタル技術による「設計と施工の併立のあり方」である。本特集では、「硬い」時代に代表される"デザインビルド"を超えて、「やわらかい」時代の"ビルドデザイン"を構想したい。
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はじめに、デジタル技術を駆使し施工を行う新世代の職人(=ニュービルダー)と、高速で高度な設計支援環境を構築するエンジニア(=メタエンジニア)を紹介し、ビルドデザインについて議論する。
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次に、現代のデジタル技術を用い、かつてのマスタービルダーのごとく設計・施工をする新時代の建築家(=デザインファブリケーター)を紹介し、ビルドデザインの可能性を模索する。
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最後に、工業化時代における建築生産について議論されてきた雑誌『群居』を振り返ることで、デジタルファブリケーション時代の建築生産のあり方や、その先にある街並みについて歴史的な視点をもとに議論する。
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本特集が目指すのは「新しいビルドの技術をもとに、デザインを構築していく」という、これまでのデザインビルドと逆方向の可能性を描き出すことである。ビルドとデザインとの双方向の対話が理想的状況であるが、私たちはあえてこう問いたい─「ビルドから始めよ」と。
[秋吉浩気・木村俊明・杉田宗]
1─ 村松貞次郎「道具と手仕事」
2─ 小川三夫「不揃いの木を組む」
[目次]
002 |
特集11 「構造の常識」の過去・現在・未来 |
006 | インタビュー1 世界に前例のないプロジェクトへ 川口衞|聞き手:満田衛資+豊川斎赫+永井佑季+藤田慎之輔 |
009 | コラム1 構造家の素養 川口健一 |
010 | インタビュー2 ホリスティックなデザインへ 斎藤公男|聞き手:満田衛資+永井佑季+藤田慎之輔 |
013 | コラム2 耐震設計を中心に(1970-1995) 竹内徹 |
014 | インタビュー3 コンピュータによる最適化と直観力 佐々木睦朗 聞き手:藤村龍至+満田衛資+藤田慎之輔+永井佑季 |
017 | コラム3 計算機によって可能になったこと 大崎純 |
018 | インタビュー4 2011年以降 変わったこと変わらないこと 金箱温春|聞き手:満田衛資+門脇耕三+永井佑季+藤田慎之輔 |
020 | コラム4 AIが構造設計をする? 高山峯夫 |
021 | 座談会 これからの構造デザイン教育を考える 小澤雄樹×浜田英明×永井拓生 聞き手:満田衛資+木村俊明+永井佑季+藤田慎之輔 |
025 |
特集12 やわらかなビルドデザイン |
026 | 座談会 ビルドからデザインに向けて 平宮健美×山﨑康造×山﨑優也×田中良典× 大森博司×梅谷信行×林瑞樹 聞き手:秋吉浩気+木村俊明+満田衛資 |
031 | 事例紹介1 先進的コンクリートストラクチャー によるサステナビリティの再考 フィリップ・ブロック |
032 | 事例紹介2 伝統と情報技術による 新たな木造建築 クリストファー・ロベラー |
033 | インタビュー1 デザインファブリケーターとの対話 フィリップ・ブロック+クリストファー・ロベラー 聞き手:杉田宗 |
036 | インタビュー2 『群居』からビルドデザインを考える 布野修司×秋吉浩気 聞き手:門脇耕三 |
000 | 第6回 とろ~りとけてる専門性 大西洋 |
038 | 研究と社会を連環させる 畔柳知宏 |
038 | マルチパラレルな「世界観」は「視点」上で「区別」される 西倉美祝 |
039 | 「女性らしさ」がつくり出す都市や建築の「らしさ」 吉田沙耶香 |
039 | 近接多拠点でつくる都市の未来 鈴木陽一郎 |
040 | UCLAにおける設計教育の現在 阿部仁史 |
042 | 「地球の声」を代弁する建築デザイン 塚本由晴+川島範久+常山未央+能作文徳 |
043 | 建築用3Dプリントとは何か? 柚山精一 |
044 | 市庁舎の解体除去に異議あり─旭川市総合庁舎について 大野仰一 |
045 | 単著投稿論文の緊張感─初回は気楽に済ませよう 長澤泰 |
046 | 日本建築学会所蔵のガラス乾板 池上重康 |
046 | 建築で歴史する 岸佑 |
047 | 構造エンジニアが試みたマイ・まちづくりのこと 桝田洋子 |
047 | 富士山頂の環境保全と公衆トイレ建設 藤井章男 |
048 | 特集を読んで─日本のパブリックスペースとは何だろう? 蓑原敬 |
048 | 編集後記 会誌編集委員 |