2019-5月号 MAY
特集33 瀬戸内テリトーリオの再構築
● かつて全国各地には共通の社会経済的基盤をもち、文化的アイデンティティを共有する特徴ある地域が形成されていた。このような地域をイタリアでは「テリトーリオ※」という。都市とその周辺に広がる田園や農村、あるいは海と山が一体となって有機的に結ばれる地域などがそれである。こうしたさまざまなテリトーリオが海や陸の交通網で互いにつながり、よく似た自然条件や社会的性格をもつ独自の経済文化圏として大きなテリトーリオを育んできたのである。
● 気候風土に富んだ日本には、元来、各地に大小さまざまに特徴あるテリトーリオを見出すことができたが、国家と産業の論理を最優先する近代化の大きなうねりのなかで、その枠組みは変化し、時に消滅し、見えづらくなってきた。高度経済成長にともなう産業構造の転換、新しい交通・流通手段の発達や人口の大都市集中、さらにはグロバリゼーションの進展が、土地に根ざしたかつての社会経済的なつながりを弱め、地域の文化的個性を希薄化させたのである。しかし、社会や産業の新しい構造転換が進められる今こそ、国土の均衡を崩した近代化の反省に立ち、地域が本来もっていたポテンシャルを再発見し、現代の価値観で復権することが求められている。
● 本特集では、大きな可能性を秘めたこのような地域の典型例として瀬戸内に注目する。瀬戸内は、近現代日本の縮図ともいえる場所である。ここでは、瀬戸内海とその周辺からなる広がりを、一体感のある大きなテリトーリオとして捉え、「瀬戸内」という地域全体の社会経済的ポテンシャルと文化的アイデンティティを高めるための哲学と方法を、その豊かな歴史と、瀬戸内を舞台に取り組まれてきたさまざまな実践から探求する。この試みは全国の地域にも共有しうるものと期待したい。
※ 「テリトーリオ(territorio)」とは地域を意味するイタリア語であり、一般的に領土と訳される英語のテリトリー(territory)とは概念が大きく異なる。土地や土壌、水循環などの自然条件のうえに、人間の営みが育んだ農業・漁業・林業そのほかの産業などによる景観、集落や建造物、歴史、文化、伝統、地域共同体などのさまざまな側面を併せもつ一体のものである。古くからある言葉だが、近代の開発から取り残された全国の地域を蘇らせる意図をこめて、1980年代から積極的に使われるようになった。
─
[藤村龍至・樋渡彩・三宅拓也・杉田宗・藤田慎之輔・益子智之]
特集34 アジアの〈組織派〉と〈アトリエ派〉─ジェネリック・シティの生態系を読み解く
● 巨大開発を通じてドラスティックな変化を遂げる東~東南アジアの都市を無個性的な「ジェネリック・シティ」と評したのは、1990年代のレム・コールハースである。だが当然ながら、そのような一見ではアイデンティティを欠く都市もまた、たしかな顔を持った建築関係者たちによって設計され、建設されているはずである。彼ら建築関係者たちが形成する建築の「生態系」を読み解くことを通じて、十把一絡げに「ジェネリック・シティ」と名指された空間それぞれに独自性を見出すことはできないだろうか? 本特集はそのような問いのもとに組まれた。
● 例えば、建築関係者の一アクターである「建築家」という存在に絞ってみたい。
● 戦後日本建築を考えるとき、「建築家」は個人の作家名が表に立つ「アトリエ派」と、組織的に建築を設計する「組織派」が共存/棲み分ける「生態系」として、しばしば理解されてきた。このような棲み分けの構図がはっきりと現れたのは1960年代だろう。経済成長を背景にして都市の建築の大型化・高層化が進めば、少数精鋭で運営される「アトリエ派」よりも、多彩な専門知を備えた専門家集団である「組織派」がその中心的な担い手となるのはなかば必然である。象徴的な分岐点としては、日本最初の超高層である《霞が関ビル》(1968)が挙げられるだろう。そして1970年代に入ると、「組織派」が都市の大規模な建築や開発を担い、「アトリエ派」は小規模ながら実験的な作品制作を中心的生業とする、といった「生態系」が安定していく。
● このように「建築家」を「アトリエ派/組織派」と分割して理解するフレームそれ自体には検討の余地が多分にあるだろう。だが他方で、経済成長と都市化のプロセスを通じて建築の大型化・高層化・複合化が進展していけば、その変化に対応する主体と(意図的/無自覚的に)対応しない主体に分かれることはごくごく自然な現象であるとも言える。つまりそれは日本固有の現象ではない。
● そこで本特集では、「アトリエ派/組織派」という構図をひとまずの作業仮説とし、アジア各国における建築家の「生態系」を読み解くことにした。東~東南アジアの各地において、その棲み分けの構図はいつ、どのようなきっかけで生じたのか? 両者の手がけるプロジェクトにはどんな違いがあるのか? あるいは、「アトリエ派/組織派」という構図それ自体がふさわしくなく、別のフレームで「生態系」を理解すべきなのか? アジアの都市開発が本格化した時期を鑑みれば、外国の建築家も第三の主たるアクターとしてカウントすべきか? これらの問いをアジア9カ国の建築史研究者に投げかけ、その回答を踏まえて、特集中の論考および座談会は構成されている。多忙のなかでアンケート回答にご協力いただいた各国研究者の方々には、改めて御礼申し上げる。
● 少し結論を先取りすれば、アンケートを通じてわかったのは、アジアの建築家の「生態系」は、「アトリエ派/組織派」というフレームで理解できるところもあれば、アトリエや組織という業務形態が、事務所の規模や担うプロジェクトの差異につながらないところもある、ということである。そしていずれの「生態系」も各国固有の歴史や社会的事件、法整備などに強く影響を受けながら形成されている。本特集の内容を通じて、アジアのジェネリック・シティの個性的側面が認識され、そのような都市の大部分を担う「組織派」に(「特殊解」と言うべき著名建築家の活動のみならず)スポットが当たること、そしてそれを通じて日本における建築家の「生態系」理解の相対化がわずかばかりでも起こることを、編者たちは期待している。
─
[豊川斎赫・市川紘司・林憲吾(ゲスト編集者)・山村崇・中島弘貴]
[目次]
002 |
特集33 瀬戸内テリトーリオの再構築
|
005 | 座談会 瀬戸内の光と影─ テリトーリオの過去から近未来へ 北川フラム×齊木崇人×陣内秀信×武田尚子 聞き手:藤村龍至+樋渡彩 |
010 | 論考1 瀬戸内の臍:鞆の浦 伊東孝 |
011 | 論考2 江戸時代の瀬戸内と芝居─ 瀬戸内の西端に市のにぎわいあり 神田由築 |
012 | 論考3 「泉都」別府を生んだ瀬戸内航路 松田法子 |
013 | 論考4 近代工業化による瀬戸内海の 変貌とその再生に向けて 戸田常一 |
015 | 論考5 瀬戸内海という新しい文明と 建築の実験場 岡河貢 |
017 | 論考6 瀬戸内海における 里山・里地・里海の連携 柳哲雄 |
018 | 論考7 石と緑が生む瀬戸内海風景の 一体性と多様性 井原縁 |
019 | 論考8 地域木材と建築がつなぐ 瀬戸内テリトーリオの可能性 井上達哉 |
020 | コラム1 周防灘の向こう側の世界へ─ 美しい風景を継承するために 八木健太郎 |
020 | コラム2 瀬戸内を通して日本の魅力に迫る 城暁男 |
021 |
特集34 アジアの〈組織派〉と〈アトリエ派〉─ジェネリック・シティの生態系を読み解く
|
022 | アンケート アジアの建築家生態系 に関する基礎調査─ 9カ国研究者へのアンケート(縮約版) |
024 | 論考1 AMIはなぜ出現したのか?─ インドネシア建築家生態系 林憲吾 |
026 | 論考2 中国における 建築設計組織の歴史的変遷─ 「設計院」制度の今昔 趙斉 |
028 | 論考3 韓国建築家の生態系・略史 曺賢禎 |
030 | 論考4 タイの大規模開発は 誰が担ってきたのか? シリクルラタナ・ポーンパット |
032 | 論考5 「建築家列島」としての戦後台湾─ 明日の戦後台湾建築史へ向かって 郭聖傑 |
033 | 論考6 シンガポールにおける建築家と 建築事務所の生態系についての概観 曾若暉 |
034 | 座談会 〈アトリエ派〉〈組織派〉構図の再検討─ アジアのフィールドから相対化を試みる 日埜直彦×岩元真明×東福大輔 林憲吾+市川紘司+豊川斎赫+中島弘貴 |
000 | 第17回 瀬戸内テリトーリオ・多次元縦横断ツアー 芦藻彬 |
040 | 進化するアジアのジェネリック・シティ・北京の建築家たち 藤村龍至 |
042 | 景観をつくる時代に向けて 大和田卓 |
042 | 夜中の3時に冷蔵庫をただ漁る人のための建築理論 立石遼太郎 |
043 | 東日本大震災、8年後の心の復興を考える 髙橋香奈 |
043 | リーダー不在まちづくりの可能性 木村達之 |
044 | 建築CAD黎明期の野心と苦心を聞く 種田元晴 |
045 | 天皇の代替わりと都市─大礼の儀礼会場と行幸路 長谷川香 |
046 | 構造折紙のかたち 舘知宏 |
047 | 雲と山の風景 妹島和世 |
047 | 海辺の石風呂 西河哲也 |
048 | ラボ・ファクトリー・アトリエ 山梨知彦 |
048 | 編集後記 会誌編集委員 |