写真:炎の向こう側, Untitled (A Festival #22), 2021
© Gottingham Image courtesy of AIJ and
Studio Xxingham

2021-9月号 SEPTEMBER

特集= 特集21 祝祭のゆくえ


21 Whereabouts of Festivals

 

特集21 祝祭のゆくえ

ここで扱う「祝祭」は、辞書的な意味よりもさらに広義な意味において捉えている。ここでの祝祭は、いわゆる特定の宗教や民族の儀式や典礼のみならず、国家的イベント、さらには家における祝祭性といったドメスティックなものまでも含む。こうしたテーマを掲げるのも、天皇の代替わりに伴う即位の礼や大嘗祭(2019年)、延期されたオリンピック・パラリンピック(2021年)、そして期待高まる大阪万博(2025年)と立て続けに行われる大規模な祭事やイベントが念頭にあることは、本誌読者の会員であれば察しがつくだろう。一方で、コロナ禍によるオンライン授業や会議の急速な普及、緊急事態宣言にともなう酒類提供禁止による都市からの人の強制的な排除、そしてステイホーム。そうした、いわゆるソーシャル・ディスタンシングは、物理的身体性をともなう共有体験を、私たちから奪い去った。企業はオフィスを手放し、演劇やライブ、それに飲み会までも奪われた。極めつけは、本誌準備中に発表されたオリンピックの無観客開催であろうか。
 とはいえ、これまでのオリンピックにしても、世界の一都市で行われる大会は画面越しで経験するものであったし、むしろ遠くから応援できるその状況を肯定的にさえ受け止めていた。だが今、コロナ禍でさまざまなものが一方的にオンラインに代替されたことに対する反作用で、改めて、他人と同じ空間を共有したいという欲求が高まっている。私たちは建築・都市というフィジカルな場を必要としているのか、あるいはしていないのか。ますます謎は深まるばかりである。
 しかし、この雑誌は『建築雑誌』である。フィジカルな都市と建築とは、一蓮托生の関係にあるのが、この学会である。とするならば、都市と建築は今後も必要とされるという希望にすがるしかない。そのときに、デジタルだけには置き換えがたいはずの「祝祭」に、人々の集う意味、ひいては都市と建築とが必要とされうる意味を見出したいと考えた。
 そこで本特集では、デジタルとフィジカルを横断するような祝祭の新たな動向を踏まえたうえで、冒頭で述べた国家から家のレベルまで、さまざまな尺度を取り扱いながら今後の都市・建築のゆくえを考える。そして、人々が集い、リアルな空間を共有する都市の祝祭について問い直したい。
 なお、掲載される座談、取材、論考のすべては2021年6月に実施あるいは執筆されたものである。オリンピック・パラリンピックという、未来の祝祭のゆくえを占うようなビッグイベントを前にして行われた議論であることには留意していただきたい。むしろ、そうしたさまざまな状況が宙づりにされた状態であったからこそ、各位の思考がより自由になった側面もあるだろう。

はたして、祝祭はどこへ向かうのだろうか。

[高口洋人、長谷川香、本橋仁(ゲストエディター)]

[目次]

建築×テック 19
000デジタルツインを活用した
建物の見える化 板谷敏正

002

特集21 祝祭のゆくえ
Whereabouts of Festivals

003座談1
祝祭はどこへ向かうのか
落合陽一×橋本麻里×森川嘉一郎
008取材1
集合住宅の床の間はどこへ?
―団地の祝祭空間の変遷と未来 井関和朗+志岐祐一
010取材2
「普請」という祭り
―つくり手の心を一つにまとめる祈り 金久保仁
012論考1
原点としての祝祭・起点としてのコロナ禍
土屋辰之助
014論考2
見えない儀式 福島加津也
016座談2
現代都市に必要とされる祝祭とは何か?
市川紘司×佐藤信

海外で働く、海外で学ぶ 37
020社会が建築をかき立てる 八木祐理子

動いている建築 18
021技術のデザイン 高木正三郎

学会発 18
022ワークライフバランスが実現できる
環境づくりに向けて―男女共同参画推進委員会の活動 
眞方山美穂

歴史的建造物にみる建築の拡張と縮退 19
023中山道・奈良井宿にみる伝建地区の拡張と縮退 渡邊泰

建築をひろげる教育のいま 20
024オンラインコラボレーションツールを活用した
PBL(問題解決型)型建築教育 佐藤幸惠

特集をめぐって 21
026境界論再考 難波和彦

建築討論アフタートーク 21
028壁と広場 松田達